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文化祭ののぼり

のぼりと聞いて思い出すのは、高校生の時の文化祭です。私の通っていた高校は、毎年秋になると週末2日間にかけて文化祭が催されました。各クラスごとの出し物や、屋台、合唱コンクール、部活ごとの発表会などたくさんのイベントで2日間が終わります。

その中でも、毎年私が力を入れていたのはクラスのぼりです。大分昔のことになるので、記憶があいまいですが、文化祭には「前夜祭」というイベントが前日の夕方から夜にかけてあり、そこでクラスの何人かが騎馬を組み、そのクラスのぼりを上に乗っかっている人が持って行進するのです。

そのクラスのぼりは、文化祭開催中ずっと飾られる言わば「クラス看板」のような物なので、気合いを入れずにはいられません。絵を描いたりするのが好きだった私ともう一人の友達は、毎年そのクラスのぼりを作っていました。文化祭間近になると、遅くまで教室に残ってワイワイ皆でお菓子を食べながらやっていたのを今でも思い出します。

あの頃作った3つののぼり、誰も持ち帰らなかったのですが、毎年どうしていたのでしょう?今思えば、記念にとって置けばよかったとちょっと思うのですが、あの頃はそんな今の気持ちなんてまったく予想してなかったですね。懐かしいです。


運動会ののぼり

のぼりの思い出といえば、運動会を思いだします。私の生まれた田舎町では小学校・中学校の運動会、さらに町民が皆で参加する町民運動会が近くなると、町中にのぼりがたちます。どんな形だったか記憶があいまいですが、電信柱と電信柱をつないで小さな旗が沢山連なっていた記憶があります。

そんな風景になると、町中の皆が「もうすぐ運動会なのね」と把握しこぞって応援に出かけるのです。おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、おかあさんも、近所の皆と一緒に、茣蓙と水筒とお弁当を持って。

今考えると一体、あののぼりは誰が掛けていたのだろうと思います。町内会の皆さんだったのか、学校の先生だったのか。いや、学校の先生だけではさすがにあの距離は無理だったでしょう。小さな田舎町といっても、端から端までは5kmはあるはずですから。きっと子供を持つ親達が協力しあってかけてくれていたのだと思います。

都会に出てきた今、あまり帰省しなくなり、あののぼりが今でもつるされているのか知る由もありませんが、私の心の中には今でも、あの運動会ののぼりの印象が焼き付いています。それと、あの田舎の異常なまでも近所付き合いの良さ。都会では想像も出来ません。たまには帰省してみるか、という気持ちになりました。


文化祭のときののぼり

のぼりの思い出 と言えば高校の時の文化祭のときの事を思い出します。どんな思い出だったのかというと、あれは二年のときだったでしょうか、念願だった文化祭での花形、入場門を制作できることとなったのです。

入場門を作ることができるのは一クラスだけなんです、しかも応募するクラスが多い場合は抽選で決めなければなりません。幸にもうちのクラスは抽選で入場門の政策ができることになったのです。その時どんな感じの入場門にするかみんなで話し合ったのですが、わいわいとお祭りの感じにしようということになって門にはベニヤを貼り付け、色々なキャラクターやぬいぐるみを貼り付けたりし、それだけではまだ足りないということになり、のぼりを制作して門のまわりに配置することとなったのです。

私はそののぼりを制作するグループに属していました。布に絵の具でみんなで絵を描いたり字を書いたりしたのが凄く楽しかったことを覚えています。制作する作業は結構時間がかかって夜は遅くなったりしましたがみんなと一緒に制作する時間が楽しかったので決して無駄ではありませんでした。

そして当日自分達で制作したのぼりを入場門に並べることになって、完成したのをみると凄く感動しました。このときに使った入場門は体育祭でも使われてしばらくは取り壊されませんでした。そしてのぼりも文化祭が終った後は必要なくなりましたがそのまま廃棄するのはもったいなかったので、みんなで家にもって帰りました。今でも思い出したように見ることがあります。今となってはいい思い出です。


神社ののぼり

のぼりは神社にもありますが地方により春祭り、秋祭りがありますが、多いのは何と言いましても秋祭りの収穫祭にのぼりが立っています。

私も少年の頃、のぼりの立っている神社の秋祭りに参加し、地元ののぼりの立っている権現神社の神輿を担いだ経験があります。神輿を担ぐときは、それぞれの掛け声や歌があります。掛け声は元気そのものの象徴で元気溌剌さを窺えます。少年ですので酒はありませんでしたが昼食のおにぎりと少々の小遣いを貰った記憶があります。

私はのぼりの立っている秋祭りの神輿のほかに、サルとかの縫いぐるみをハッピーに付け、人が縫いぐるみを取ることで無病息災が叶えられると言う伝説で、付けていた縫いぐるみはのぼりの立っている祭りが終わる夕方には、一つも残っていませんでした。不思議なことに神輿ですので誰も怪我はしませんでした。これも一つのご利益だと考えます。その当時は、内風呂の家庭は少なく銭湯代を貰って、即銭湯へ向かっていました。

今では神社ののぼりは全国的に少なくなっているように思いますが、特に都会では以前と比べて秋祭りの減少で見る機会がなくなったように感じます。日本の全国的「のぼり」の立つ秋祭りがなくなって行くのは、近所とのコミュニケーションがなくなり、人生が虚しくなります。そして現在の幼・少年が知らないことは日本の伝統行事を絶やし、日本文化が衰退していくようで年老いても走馬灯のように、現代の幼・少年たちは記憶がないことに寂しさを覚えます。


神社の夏祭りののぼり

のぼりの思い出と言えば、子供の頃おばあちゃんのおうちの近くの神社での夏祭りを思い出します。歩いて3分のキョリに神社があるのですが、我家の氏神さんで、何かあるときはいつもその神社で、もちろんお正月のお参りもその神社です。小さい神社ですが思い出のいっぱいつまった所なのです。

おばあちゃんのおうちは我家からすぐ近くの所にあるので、頻繁に遊びに行っていたのですが、夏休みは特によく行きました。そして、お盆には毎年お祭があるのです。当時は屋台がいくつも出て、のぼりもたくさん出て、それはにぎやかなお祭でした。

子供心に、夜出掛けて、赤々と提灯がともっていたり、屋台があり、のぼりが出て賑やかだったので、とてもワクワクするのでした。その神社のお祭を楽しみにしていたのでした。なかでも、金魚すくいは定番でしたね。母とお祭に来ると、金魚すくいはタブーでした。 金魚を持って帰るのが嫌だったのでしょう。でも、おばあちゃんと一緒だと、何でもOKだったので、喜んでチャレンジしたのでした。そして、その金魚たちは、我家へと連れて帰って、夏休みは金魚のお世話に追われるのでした。

子供ながらにのぼりが出ているだけで、お祭が一層賑やかになるなぁと感じていました。いつもはない風景に、特別さを感じていたのだと思います。夏休みの思い出の一つですが、何十年たっても、今も心に焼き付いていて、とてもよく覚えているのです。楽しかったですね。